粘液の内部はまるで異次元だった。視界ゼロ。明かりなし。どこもかしこもぬめって、吸い付いて、音すら飲み込んでいく。ゼリーの迷路に飛び込んだ三人はあっという間にバラバラに引き離された。
「……うそ……どこ……!?さっきまでイチローたちすぐ隣にいたじゃん!」
サブローの声が霞のように溶けていく。右に進んでもゼリーの壁。左も同じ。あらゆる道がねばついて絡まり出口を拒むようだった。
(やべ……このままじゃ、方向感覚が死ぬ)
そのときだった。ぶちゅっ、と鈍い水音。そして──ぬるり、と白い球体が通路の奥から現れた。
「白血球、まだいたのかよッッ!?」
サブローの絶叫が漏れる。粘液の中でも敵は来る。密閉されたゼリーの通路でも、白血球は粘膜防衛モードで待ち構えていたのだ。
ぐるる……
ぶくぶく……
ぬめりの中からねばついた腕のような粘液の触手が伸び、サブローに迫る!
「ひぃぃぃぃッッ!ちょ、無理無理無理ぃぃッッ!」
一方、イチローもまた別の通路で急旋回を繰り返していた。
「どこだ……どっちだ……!?これじゃ、進んでるのか戻ってるのかすらわかんねぇ……!」
ぬめる壁が、まるで迷宮のように閉じ込める。
「頼む……感覚を、信じろ……!」
視覚も聴覚も使えない。ならば──最後に頼れるのは……本能だけだ。イチローは何も考えず、何も見ず、ただ感じた前へ行けという流れに身を任せる。
ぐっ……
ぶるんっ!
ひときわ強くゼリーの壁が震えた。その先に、かすかに空気の変化があった。
「……あった……道だッ!」
粘液のトンネルを抜けたその瞬間、イチローの視界が開けた。ぐわんと光が広がる。ねばつきが一気に薄まり、尾が自由に動かせる。粘液の壁はすでに背後に遠ざかっていた。
「……抜けた……ッ!」
視界に映ったのは広く、血と粘膜の赤が満ちた新たな世界。
「子宮だ!」
ついに辿り着いた。
「おいイチローッッ!生きてたかァァァッ!」
どぅるん!と音を立ててサブローが粘液の出口から滑り込んできた。尾をぶんぶん振り回しながら大声で笑っている。
「──やれやれ、全身がゼラチンまみれだ」
三番手としてジローもぬるりと登場。目を細めて周囲を確認するとスッと口を引き結んだ。
「……三人生きて抜けたか。上出来だ」
「っしゃあああッ!この三人、粘液ごときじゃ止まらねぇッッ!」
イチローが吠える。
「ぜってぇ、最後まで行こうぜ……この先、なんがあってもな!」
ぴちゃ……
ぴちゃ……
尾の先で血の湖をかすめながら、三人の精子はゆっくりと進み出す。
「次は……子宮の中、か」
「一番広くて、そして……一番危険な場所」
「でも、もう止まれねぇよな……!」
三つの尾が同時に、ぴしゃん、と水音を立てた。赤く、揺れる空間の向こうへ。
どろりとした酸の湿地を抜け、三つの尾びれがぬるりと駆け上がる。そこには、見たこともない光景が広がっていた。宙に漂うねっとりとした半透明の膜。幾重にも折り重なった粘液のレイヤーが、まるで海月の触手のようにゆらゆらとたゆたっている。
「……うわっ、なにこれ……粘液のカーテン?」
サブローがぽかんと口を開けた。ぬめる粘膜の向こうで光が屈折して、ゆらゆらと幻想的に揺れている。
「ここが……子宮頸管か……」
イチローは眉をひそめて、空気の重さを肌で感じ取るように進み出る。ぬるくて粘っていて、何かがこちらを見ているようなそんな圧迫感。
「こっから先が子宮。精子の99%がここで脱落する」
ジローの声は冷たく淡々としている。周囲にはすでに脱落した精子の残骸がぽつぽつと浮かんでいた。先を急ぎすぎた者、白血球に襲われた者、粘液に捕まった者──
「数の暴力が意味をなさなくなるステージ、ってわけだ」
ジローの言葉にイチローも静かにうなずく。そして、不意に粘液の表面がぴくりと動いた。ゆらり、と揺れた粘膜の先で何かが蠢いていた。視線を上げると、そこにはぬめりの中に潜む球体の影──!
「……白血球……!」
イチローが声を低くする。
「また出たのかよ!?膣内で捨て身突撃してたヤツらじゃ飽き足らず、ここでも待ち伏せってか!?」
サブローが震えながら身を引く。
「違う。あれは見張りだ。粘液の奥に進もうとした個体を潰す門番の役割だ」
ジローが粘液の動きに合わせて目を細める。
「ってことは……この粘液、下手に触ったらアウトってことか」
イチローが呟いたとき──
ずんっ。
ひときわ大きく粘液の一層が波打った。三人は同時に息を呑んだ。
「……動いてる……」
「なにかが、開こうとしてる……?」
気づけば、粘液の層がほんのわずか、一瞬だけ隙間を見せた。
「よしっ、ここは突撃あるのみっしょ!」
宣言と同時にサブローがぬるんと前へ飛び出した。
「おい待てっ!バカッ!」
ジローの制止も虚しく、サブローはふよふよ揺れる粘液の膜に正面から激突。一瞬、膜がぷにっと膨らんだかと思えば。
「ぬぐああああ!?なにこれなにこれっ!粘っ!なにこれ粘るぅぅぅ!!」
サブローの全身がねちゃりと粘液に絡め取られていく。膜が吸盤のようにぴとぴとと張り付き、彼の尾びれをぬめぬめと巻き込んでいた。
「……お前はアホか」
ジローが呆れ声を漏らす。その横でイチローは慌てて粘液の端を引きはがし、サブローを引っ張り出す。
「ぬはぁ……た、助かったぁ……完全にゼリーの餌食になるとこだったぜ……」
「やっぱり、やみくもに突っ込んでも通れねぇってことか……」
イチローが粘液の揺れをじっと見つめながら呟く。
「そうだ。ここは選ばれた道しか通れない構造になってる」
ジローが淡々と分析を始める。
「排卵期の粘液だけが特定の方向に一瞬だけ道を作る。だが、それは目視ではわからない。反射と流れを読むしかない」
「え、要するに……運ゲーってこと!?」
「いや、流れの法則がある。見極めればチャンスは来る」
ジローの目が細く鋭くなる。粘液の層はまるで生き物のようにじわじわと呼吸していた。時折、その内側がぬるりと開き、すぐにまた閉じる。
「──通れる瞬間があるなら、そこに全力で突っ込むしかない。次に開いた瞬間、行くぞ……!」
イチローの声に静かな緊張が走る。
ぴちゃり……ぴちゃり
粘液がわずかに息づくたび、表面の層がふるりと揺れる。三人の精子はその揺らぎを黙って見つめていた。言葉ひとつ、動きひとつで命取りになる。ここは全員一発勝負の待機フェーズ。
「う、うわぁ……緊張してきた……なんか胃が……あ、胃なんてねえわ」
「落ち着け。流れを読め。焦ったやつから死ぬぞ」
ぴちゃっ……ぶるん……
そして──
「……今だッ!」
イチローが叫ぶや否や、三人が一斉に前へと飛び出した。その瞬間、粘液の層がふわりと開いた。たった一呼吸の幅、ほんの刹那の隙間。
どぅるんっ──!
三人の小さな精子たちはそのぬめる通路へと一気に滑り込んでいった。周囲の粘膜がすぐにまた閉じかける。
「ぃやったあああ!入ったああああッッ!」
「喋るな!ぬめりが乱れる!」
「いいから泳げぇぇぇぇッッ!」
イチローが吠えた。ぬるり、ぬめり、ねっとりとしたゼリーのトンネル。その内部は暗く、狭く、そして何かが動いている。彼らは知らなかった。この粘液の奥にもまだ白血球の影がひそんでいることを。
粘液の内部はまるで異次元だった。視界ゼロ。明かりなし。どこもかしこもぬめって、吸い付いて、音すら飲み込んでいく。ゼリーの迷路に飛び込んだ三人はあっという間にバラバラに引き離された。
「……うそ……どこ……!?さっきまでイチローたちすぐ隣にいたじゃん!」
サブローの声が霞のように溶けていく。右に進んでもゼリーの壁。左も同じ。あらゆる道がねばついて絡まり出口を拒むようだった。
(やべ……このままじゃ、方向感覚が死ぬ)
そのときだった。ぶちゅっ、と鈍い水音。そして──ぬるり、と白い球体が通路の奥から現れた。
「白血球、まだいたのかよッッ!?」
サブローの絶叫が漏れる。粘液の中でも敵は来る。密閉されたゼリーの通路でも、白血球は粘膜防衛モードで待ち構えていたのだ。
ぐるる……
ぶくぶく……
ぬめりの中からねばついた腕のような粘液の触手が伸び、サブローに迫る!
「ひぃぃぃぃッッ!ちょ、無理無理無理ぃぃッッ!」
一方、イチローもまた別の通路で急旋回を繰り返していた。
「どこだ……どっちだ……!?これじゃ、進んでるのか戻ってるのかすらわかんねぇ……!」
ぬめる壁が、まるで迷宮のように閉じ込める。
「頼む……感覚を、信じろ……!」
視覚も聴覚も使えない。ならば──最後に頼れるのは……本能だけだ。イチローは何も考えず、何も見ず、ただ感じた前へ行けという流れに身を任せる。
ぐっ……
ぶるんっ!
ひときわ強くゼリーの壁が震えた。その先に、かすかに空気の変化があった。
「……あった……道だッ!」
粘液のトンネルを抜けたその瞬間、イチローの視界が開けた。ぐわんと光が広がる。ねばつきが一気に薄まり、尾が自由に動かせる。粘液の壁はすでに背後に遠ざかっていた。
「……抜けた……ッ!」
視界に映ったのは広く、血と粘膜の赤が満ちた新たな世界。
「子宮だ!」
ついに辿り着いた。
「おいイチローッッ!生きてたかァァァッ!」
どぅるん!と音を立ててサブローが粘液の出口から滑り込んできた。尾をぶんぶん振り回しながら大声で笑っている。
「──やれやれ、全身がゼラチンまみれだ」
三番手としてジローもぬるりと登場。目を細めて周囲を確認するとスッと口を引き結んだ。
「……三人生きて抜けたか。上出来だ」
「っしゃあああッ!この三人、粘液ごときじゃ止まらねぇッッ!」
イチローが吠える。
「ぜってぇ、最後まで行こうぜ……この先、なんがあってもな!」
ぴちゃ……
ぴちゃ……
尾の先で血の湖をかすめながら、三人の精子はゆっくりと進み出す。
「次は……子宮の中、か」
「一番広くて、そして……一番危険な場所」
「でも、もう止まれねぇよな……!」
三つの尾が同時に、ぴしゃん、と水音を立てた。赤く、揺れる空間の向こうへ。
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