イチローは感じ取った。子宮内を満たしていたぬるりとした鼓動、その波の質が変化している。まるで出口に導かれるかのように壁がやんわりと押し出してくるのだ。
(ここが……卵管の入口……!)
その場所は狭かった。信じられないほど細く、ねっとりと収縮を繰り返す通路。精子の身体すらすんなり通れないような、粘膜の蛇口のような門構造が立ちはだかっていた。
「狭っ……!」
イチローは身体を捻じ込みながらゆっくりとその口へ近づいていく。だが、流れは逆だった。子宮から流れ出る体液の波に全身を押し返されそうになる。
(逆流……か。そりゃそうだよな、ここを通れるのは……)
周囲を見渡すともはや他の精子たちの姿はほとんどなかった。かつては数千万いた仲間が今や十もいない。粘膜に沈むように散った彼らの残滓が静かに揺れている。
(こんなに……減ってたのか)
心の奥に重みが広がった。誰もが命を懸けてここまで来ようとした。だが、たどり着けたのはほんの一握り──いや、もう一つまみすらない。
そのときだった。ぐる、と音がした。壁が蠢く。いや、違う。粘膜の収縮じゃない。誰かがこっちに近づいてくる音だった。
「来るか……!」
もしや、まだ敵がいるのか。免疫細胞の追撃か。しかし、その粘液の隙間から現れたのは──
「おーっす。やっぱお前来てたかぁ〜♪」
その声にイチローは思わず笑った。
「サブロー!」
少し傷だらけで、粘液にまみれながらもあの軽いノリは変わらない。
「いや、マジで迷ったわ〜。てか、合流できてなかったらオレもう諦めてた」
そして、もう一体。
「……この流れにあえて逆らってくるとはな。バカ共でもたどり着けるのか」
ジローが現れた。冷静な目の奥にほんの少し驚きの色を乗せて。
「なんだよ、全員そろっちまったな」
「……生き残ったのは俺たちだけだ」
三人の精子が狭門の前に並んだ。その先には最後の選抜が待っていた。
「……なあ、これ……通れるのか?」
サブローの声が珍しく真面目だった。目の前に広がるのは粘液の門。ぬるぬると蠢くその隙間は、まるで生きた肉のリング。わずか数ミクロンの幅が律動するように収縮と解放を繰り返している。
「……門というより、搾り器だな」
ジローが粘膜の動きに視線を向けながら分析する。
「この圧と粘度……通過は物理的に不可能に近い。加えてこの流れ……逆流だ。完全に拒絶の流れだな」
実際、通ろうとした他の精子が一体、押し戻された拍子に流れの逆圧で壁に叩きつけられ、液体の泡となって消えた。
「う……おいおい、今の見たかよ……」
誰もが気づいていた。ここを越えられるのは、ごくわずか。おそらくはほんの数体。
だが、それだけではなかった。ぬるり、と門の粘膜が引きつった。
「……いるな」
ジローの目が細まった。粘液の奥から白く硬質な芯のようなものがせり出してくる。それは、以前までのマクロファージとはまったく異なる存在感──
「ナチュラルキラー型……免疫兵の最終防衛ラインだ」
ぬる、ぐにゅっ
白い繊維質の外殻に包まれたそれは、脈動と共に腕を広げるように粘液を操る。狙うのは流れに逆らう者だ。
「……つまり、行こうとする意思を狙ってくる」
(それでも、行かなきゃ……!)
緊張が三人を包んだ。
「オレ、囮やるわ」
突然、サブローが口を開いた。
「は?」
ジローが怪訝な顔をする。
「動きが早いやつにはこっちのノリが効くって。オレ、陽動しながらグネグネかき回す。ジローはルートを探って、イチローは……突破してくれ」
その笑顔はいつもより少しだけ真剣だった。
「……任せろ」
イチローは頷いた。
「非効率だが……それが最適解だ」
ジローが静かに分析を受け入れる。
門の前に風が生まれる。粘液が渦を巻き、免疫兵が粘質の腕を構えた。
「──行くぞ!」
三人は同時に、最終門へと突入した。
イチローは感じ取った。子宮内を満たしていたぬるりとした鼓動、その波の質が変化している。まるで出口に導かれるかのように壁がやんわりと押し出してくるのだ。
(ここが……卵管の入口……!)
その場所は狭かった。信じられないほど細く、ねっとりと収縮を繰り返す通路。精子の身体すらすんなり通れないような、粘膜の蛇口のような門構造が立ちはだかっていた。
「狭っ……!」
イチローは身体を捻じ込みながらゆっくりとその口へ近づいていく。だが、流れは逆だった。子宮から流れ出る体液の波に全身を押し返されそうになる。
(逆流……か。そりゃそうだよな、ここを通れるのは……)
周囲を見渡すともはや他の精子たちの姿はほとんどなかった。かつては数千万いた仲間が今や十もいない。粘膜に沈むように散った彼らの残滓が静かに揺れている。
(こんなに……減ってたのか)
心の奥に重みが広がった。誰もが命を懸けてここまで来ようとした。だが、たどり着けたのはほんの一握り──いや、もう一つまみすらない。
そのときだった。ぐる、と音がした。壁が蠢く。いや、違う。粘膜の収縮じゃない。誰かがこっちに近づいてくる音だった。
「来るか……!」
もしや、まだ敵がいるのか。免疫細胞の追撃か。しかし、その粘液の隙間から現れたのは──
「おーっす。やっぱお前来てたかぁ〜♪」
その声にイチローは思わず笑った。
「サブロー!」
少し傷だらけで、粘液にまみれながらもあの軽いノリは変わらない。
「いや、マジで迷ったわ〜。てか、合流できてなかったらオレもう諦めてた」
そして、もう一体。
「……この流れにあえて逆らってくるとはな。バカ共でもたどり着けるのか」
ジローが現れた。冷静な目の奥にほんの少し驚きの色を乗せて。
「なんだよ、全員そろっちまったな」
「……生き残ったのは俺たちだけだ」
三人の精子が狭門の前に並んだ。その先には最後の選抜が待っていた。
「……なあ、これ……通れるのか?」
サブローの声が珍しく真面目だった。目の前に広がるのは粘液の門。ぬるぬると蠢くその隙間は、まるで生きた肉のリング。わずか数ミクロンの幅が律動するように収縮と解放を繰り返している。
「……門というより、搾り器だな」
ジローが粘膜の動きに視線を向けながら分析する。
「この圧と粘度……通過は物理的に不可能に近い。加えてこの流れ……逆流だ。完全に拒絶の流れだな」
実際、通ろうとした他の精子が一体、押し戻された拍子に流れの逆圧で壁に叩きつけられ、液体の泡となって消えた。
「う……おいおい、今の見たかよ……」
誰もが気づいていた。ここを越えられるのは、ごくわずか。おそらくはほんの数体。
だが、それだけではなかった。ぬるり、と門の粘膜が引きつった。
「……いるな」
ジローの目が細まった。粘液の奥から白く硬質な芯のようなものがせり出してくる。それは、以前までのマクロファージとはまったく異なる存在感──
「ナチュラルキラー型……免疫兵の最終防衛ラインだ」
ぬる、ぐにゅっ
白い繊維質の外殻に包まれたそれは、脈動と共に腕を広げるように粘液を操る。狙うのは流れに逆らう者だ。
「……つまり、行こうとする意思を狙ってくる」
(それでも、行かなきゃ……!)
緊張が三人を包んだ。
「オレ、囮やるわ」
突然、サブローが口を開いた。
「は?」
ジローが怪訝な顔をする。
「動きが早いやつにはこっちのノリが効くって。オレ、陽動しながらグネグネかき回す。ジローはルートを探って、イチローは……突破してくれ」
その笑顔はいつもより少しだけ真剣だった。
「……任せろ」
イチローは頷いた。
「非効率だが……それが最適解だ」
ジローが静かに分析を受け入れる。
門の前に風が生まれる。粘液が渦を巻き、免疫兵が粘質の腕を構えた。
「──行くぞ!」
三人は同時に、最終門へと突入した。
粘液が渦を巻く。風のように波のように。いや、もはや嵐のようだった。
最終関門。それは免疫の王とでも呼ぶべき、ナチュラルキラー型の巨大免疫兵が守っていた。白く硬質な外皮、無機質な目のような凹凸。そして、その両腕からは粘液の刃が螺旋状に伸びる。
「うおおおおおっしゃああ!!派手にいくぜええぇぇっ!」
サブローが突っ込んだ。回転するように粘液の壁を蹴り、くるくると宙を舞う。
「はいはーい!こっち見ろ、粘液タコ野郎ぉっ!」
煽る声と共に閃光のように跳ね回る。白い刃がうなりを上げて振り下ろされ、サブローはすれすれで回避。壁を蹴ってジグザグに動き、軌道を乱し続ける。
「次の波、三秒周期だ……イチロー、そこを狙え!」
ジローが叫んだ。彼の目はすでに免疫兵の動作パターンを読み切っていた。粘液の流れ、収縮、敵の可動域、全て計算に入っている。
「わかったっ!」
(サブローが引きつけてる。ジローが隙を見てくれてる。だったら、俺は──!)
力を込めて、粘膜を蹴る。
「うおおおおおおおっ!!」
粘液の逆流を正面から突き破る。圧力が全身にまとわりつき、体が引き裂かれそうになる。ぐるん、と粘膜がうねった瞬間──
「今だッ!!」
ジローが声を上げる。イチローは一気に加速した。サブローの陽動がギリギリまで続く中、敵の視界がずれた一瞬──
ずぴゅぅぅんッ!
白い刃が空を切る。免疫兵の中心をイチローがすり抜けた。
「通ったっ……!!」
粘液の渦が砕け散る。免疫兵がぶるぶると震え、やがて静かに崩れ落ちた。残されたのはわずかな粘液の泡。サブローは最後のステップで回避し、ふらふらと戻ってきた。
「っつぁ……やばかった……マジで……死ぬかと思ったぜぇ……」
ジローが無言でうなずき、イチローは両手を握りしめた。
「ありがとう……二人がいなきゃ、絶対無理だった」
そこには確かな連携があった。誰も諦めなかったから、誰も欠けなかったから、この突破は成功したのだ。
その先、粘液の門がひとつがぬるりと開いていた。静かだ。あれほど粘液がうねり、免疫細胞が渦巻いていた子宮の荒波が嘘のように穏やかだった。ぬるりと温かく、ゆっくりと鼓動する空間、卵管。粘膜の壁には柔らかな絨毯のようなひだが広がり、奥からほんのりと甘い匂いが漂ってくる。
「……ここが、卵管……」
「ようやく、来たんだな……」
サブローもさすがに口調が静かだった。ふざけるようなテンションも抜け落ち、ただ、生き延びたことの余韻が心に残っていた。
「しかし……」
ジローの視線が通路の先に向けられる。そこには一つの門があった。まるで聖域の扉のように粘膜が重なり合い、規則的に開閉している。その奥に確かに何かがある──圧倒的な存在。見えはしないが、感じる。そこに、目的があることを。
その瞬間だった。どこからともなく声が響いた。
「ここより先へ進めるのは、一人のみ」
「……えっ」
「受精可能な卵子は、一つのみ。最初に辿り着いた精子のみが、その内側に入ることを許される」
声でも音でもない。それは、生体のルールが直接彼らの意識に焼き込まれるような冷徹な宣告だった。
「……一人だけ、だと……?」
「そんな……それってつまり……」
イチローは拳を握った。
(ここまで三人で来たんだ……だけど、この先は……一人?)
沈黙が落ちる。ぬるり、と扉の奥から気配が流れ込んでくる。柔らかくて、温かくて、甘い。それでいて底知れない拒絶と選別の意志を感じさせる。
「……ははっ。最後の最後でそーくるか」
「情に流されるな。これは生存競争だ」
「……でも、それでも」
イチローが前を向いた。
「オレは進む。全力で、最後まで──それが、ここまで生きてきた意味だ!」
三体の視線が再び重なる。そこには、友情も、競争も、祈りも全部あった。そして、決戦の幕が開く。

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