イチローは分岐の中でも最も鼓動が強く伝わってくる道を選んだ。肌を伝う粘膜の圧がまるで何かを運ぼうとするリズムのように感じられたからだ。
(この奥に……きっと、何かがある)
まっすぐ進む道なんてきっと危険だ。でも、それでも。
「信じるしかねぇだろ、みんなの想いも、オレのこの……直感もっ!」
イチローは仲間の精子たちの残した小さな痕跡を拾いながら進んでいた。かすれた粘液の揺れ、細かな流れの乱れ。それはまるで、精子たちの小さな命の叫びのようだった。
(誰かが通った証がある。無駄じゃなかったんだ)
進むたび壁は少しずつ狭まり、ねっとりと絡みつく。熱が帯びていく通路、その奥から妙な脈打つ音が聞こえてきた。
(……なんだ?この感覚)
ゴウン……ゴウン……と低く響く拍動。それはまるで、この道そのものが生きているかのようだった。不意に壁の奥から何かがぬるりと現れる。
「っ……来たな!」
それは他のどれよりも巨大だった。マクロファージの上位種だろうか。表面には粘液のトゲが密集し視線のような穴が蠢いている。
(やるしかねぇ……!)
逃げ場はない。ならば、突破するしかない。
「オレは、止まらない……っ!」
イチローは壁を蹴って真正面から突進した。迫る粘液の触手をギリギリでかわし、トゲの間をすり抜け、中心を貫く──!
ズズ……と内側から響くような摩擦音が全身を這う。
「うあ゙っ……!!くそ……でもっ……っ!!」
粘膜の圧に身体が軋み、意識が遠のきかける。それでも彼は進む。その先に誰かが待ってる気がしたから。
(ジロー……サブロー……オレ、絶対にたどり着く)
粘膜の壁を突き破ったその瞬間、音が消えた。そこはまるで別世界だった。滑らかな蠢きが奥へと誘う広く静かな道。
「ここが、最終試練の入り口か……!」
粘膜に傷を刻まれた身体を引きずりながら、イチローは前へ進んだ。
圧倒的な壁粘液を突破した瞬間、景色が一変した。そこは、ぬめりと脈動に包まれた赤黒い迷宮だった。
(ここが……子宮……)
イチローの視界に広がるのは、無数の枝道と波打つ壁面。まるで生きているかのように壁が呼吸し、奥へ奥へと誘い込むように収縮を繰り返している。空間は湿度に満ち、生温かい粘膜の香りが空気を満たしていた。
「うっひょ〜。マジで異世界迷宮って感じじゃねぇ?」
サブローがぬるりと飛び出し、ねっとりと絡みつくような空間に身を泳がせる。
「はしゃぐな。ここは酸性度が落ちた代わりに免疫細胞の本拠地だぞ」
ジローが冷ややかに警告した刹那、ぐるる、と地の底から響くような音がした。壁の一部が蠢いた。赤く膨れた影が現れ、その中から粘液に包まれた白い何かがにゅっと伸びる。
「マクロファージ……!」
ジローが即座に反応し背後へ飛び退いた。
「ちょっ、おいおいっ!今のやつ他の連中吸い込んでないか!?」
サブローの悲鳴と共に数体の精子たちが触手のようなものに絡め取られ、溶かされるように消えていく。
(逃げなきゃ……でも、どっちへ!?)
イチローの目の前に三方向への分岐が現れた。一つは奥から微かに温かい流れを感じるルート。もう一つは鼓動のような拍動が強く伝わるルート。最後のひとつはほのかに甘い匂いが漂っていた。
「ここで固まってたら全滅するぞ!」
ジローがすでに進路を見極め、流れのあるルートに滑り込む。
「えー?オレは匂いで行くぜ〜。絶対ヤバいけど、そっちのほうが面白そうだし」
サブローは躊躇なく甘い匂いのする方へ進路を取る。
「お、おい、待って……!」
イチローは一瞬躊躇したがすぐに叫んだ。
「別れて進もう!生き残ってまた合流だ 絶対に誰かはたどり着ける!」
三方向に向けて三つの精子がそれぞれの決意と共にぬるりと分かれていく。
ジローは流れを選んだ。ごく微細な温度差と濃度の変化──それは、確かにどこかへ繋がるルートのサインだった。
(体液の流動と化学物質の濃淡……方向性がある。これは排卵期特有のナビゲーション反応だ)
彼は他の精子たちと違って、ただ本能に従って動くわけではない。感覚を情報に変え、情報を戦略に落とし込む。それがジローの武器だった。
(ここは動脈のように流れている……ただの道じゃない。きっと運搬路だ)
背後からぬるっ、と白い粘性の触手がのびる。先端が二又に割れ、狙い澄ましたようにこちらへ迫ってきていた。
「チッ……まだ追ってくるか」
ジローは一瞬、通路の奥に反応を読み取った。壁のくぼみ、その奥へぬるりと滑り込む。直後、触手が通過し、ぬるぬると蠢く残滓だけを残して去った。
(完全にこちらの存在を把握してる……いや、むしろ感じ取ってるといった方が正しいか)
まるで知性を持っているかのように迫る粘液兵。だが、ジローは微かに口元を緩めた。
(これで確信した。今の動きは体内圧の変化と連動していた。つまり、次の収縮は──)
壁がぐぐぐと迫り、今度は天井が落ちかけるように粘膜が盛り上がった。ジローは即座に反転し、粘液のうねりに逆らうように上昇する。
通路がねじれ、幾層にも分かれているのが見えた。三つに枝分かれしたルートの一つ、最も流れが強い方へと飛び込む。
(ここが上行性の道……卵管への接続だ。おそらく間違いない)
その瞬間。
ばちん!
粘膜の一部が収縮し、ジローの後ろを通っていた精子が一体呑み込まれた。
「……っ!」
流れの中に消えたその姿に、一瞬だけジローの目が揺れる。
(非効率な動きだったな……だが、あいつが囮になってくれて助かった)
唇を噛むようにして再び進む。
(無駄を切り捨てた先に、本当に正解があるのか──)
だが、後悔はしない。合理性こそが自分の信じる道だ。だから、ジローは前を向く。前進。冷徹な判断と揺れ始めた何かを抱えながら。
「いや〜、マジでこっちヤベぇ匂いするんだけどっ!」
サブローは浮かれた声を残して他の二人と別れた。選んだのはほんのり甘く、どこか温かい香りが漂うルート。
(つーか、あのジローくんマジでガチすぎんだよなー。そんなピリピリしてたらハゲるって)
通路は狭く、ぬるついた粘液が身体に絡みついてくる。軽口を叩きながら進むが、壁から微かに震えるような音が伝わってきていた。
(……ん、なんか空気変わった?)
先ほどまでのぬめりとは違う。より濃厚で生温かい膜のようなものがサブローの全身を包み始めた。
「うおっ……ぬるん……?やっば、オレ今ぜってぇ生きた壁に包まれてるだろこれ!」
進もうにも前後左右からじわじわと収縮する感触。粘膜が押し返すようにうねり、身体をねっとりとなで回してくる。
「やばいやばいやばい!これ絶対なんか来るって!」
パニック寸前。サブローはとっさに真横の分岐に滑り込んだ。瞬間、背後でぶしゅ、と液体が弾け粘液が弓状に放たれる。
「うおあっぶねえええっ!?なにあれ!?酸の罠!?てか罠なんてあるの!?!」
奇跡的にかわした自分に思わず乾いた笑いが漏れた。
「いやいや……笑ってる場合じゃねぇぞ」
心拍にも似た鼓動が周囲を揺らす。脈動が徐々に速くなってきていた。生体の異物反応が確実にこちらに迫ってきている。
「っつーか……ここ、完全に選別ルートってヤツじゃね?」
気づいたときにはもう遅い。前方で空気が明確に揺れた。ぶわ、と開いた通路の奥から、のっそりと何かが現れる。白い触手。ぬらりと伸びる、それはまるで意志を持つ生き物のようだった。
「ひいいいいいっ!!」
その瞬間、サブローの声から笑いが消える。逃げるルートもない。選択肢は一つ。
「突っ込むしかねぇってかよっ!!」
叫びながらぬめった粘液の中を跳ね飛ぶ。間一髪で触手の脇をすり抜け、壁を蹴って方向転換。身体の端が一瞬掠められ、粘液が焼けるようにチリッと泡立った。
「うおっ!いってぇっ…………かすっただけでこれかよ」
息を切らしながら前へ前へと泳ぐ。
(……あいつら、大丈夫かな……)
心の奥にふっと浮かんだイチローとジローの顔。いつもは騒いで誤魔化してるけど、今は一人きりだ。
「っしゃあ……!ビビってる場合じゃねぇ!行くぜ、サブローッ!」
気合いと共に壁を蹴り、暗い粘膜の海へと突き進んだ。
イチローは分岐の中でも最も鼓動が強く伝わってくる道を選んだ。肌を伝う粘膜の圧がまるで何かを運ぼうとするリズムのように感じられたからだ。
(この奥に……きっと、何かがある)
まっすぐ進む道なんてきっと危険だ。でも、それでも。
「信じるしかねぇだろ、みんなの想いも、オレのこの……直感もっ!」
イチローは仲間の精子たちの残した小さな痕跡を拾いながら進んでいた。かすれた粘液の揺れ、細かな流れの乱れ。それはまるで、精子たちの小さな命の叫びのようだった。
(誰かが通った証がある。無駄じゃなかったんだ)
進むたび壁は少しずつ狭まり、ねっとりと絡みつく。熱が帯びていく通路、その奥から妙な脈打つ音が聞こえてきた。
(……なんだ?この感覚)
ゴウン……ゴウン……と低く響く拍動。それはまるで、この道そのものが生きているかのようだった。不意に壁の奥から何かがぬるりと現れる。
「っ……来たな!」
それは他のどれよりも巨大だった。マクロファージの上位種だろうか。表面には粘液のトゲが密集し視線のような穴が蠢いている。
(やるしかねぇ……!)
逃げ場はない。ならば、突破するしかない。
「オレは、止まらない……っ!」
イチローは壁を蹴って真正面から突進した。迫る粘液の触手をギリギリでかわし、トゲの間をすり抜け、中心を貫く──!
ズズ……と内側から響くような摩擦音が全身を這う。
「うあ゙っ……!!くそ……でもっ……っ!!」
粘膜の圧に身体が軋み、意識が遠のきかける。それでも彼は進む。その先に誰かが待ってる気がしたから。
(ジロー……サブロー……オレ、絶対にたどり着く)
粘膜の壁を突き破ったその瞬間、音が消えた。そこはまるで別世界だった。滑らかな蠢きが奥へと誘う広く静かな道。
「ここが、最終試練の入り口か……!」
粘膜に傷を刻まれた身体を引きずりながら、イチローは前へ進んだ。
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